いじめられていた中学時代の話をしよう【後編】
中学時代の話の続きです。
前回の【中編】では、
いじめられていた私を助けてくれて、信じていた友達から再び裏切られ、
教室に通えなくなるところまで書きました。
最後の後編では、
- 教室に通えなくなった私はその後どうなったのか?
- 2回のいじめは私の人生にどう影響したのか?
について書こうと思います。
保健室登校から、教室登校に挑戦→失敗
教室に通えなくなった私は、しばらくの間クラスから逃げるように保健室登校していました。
でも保健室には私だけでなく、授業をサボったギャルみたいな子も来ていましたし、
クラスの子が用があって来ることもありました。
保健室の先生は暖かく迎えてくれましたが、
そういう子たちの「なんでこの人ここにいるんだろう?」という視線がつらく、保健室にいるのもままならないような感じでした。
中学2年に上がったタイミングで、私は一度教室に行ってみようと決意しました。
先生たちが配慮してくれて、いじめっ子たちとは違うクラスになったからです。
新しいクラスの子たちは戻ってきた私に普通に接してくれました。
このまま卒業まで通えるかなぁ、とほっとしました。
でも、隣のクラスにいるいじめっ子たちとすれ違うのが怖くて、トイレも気軽に行けない。
トイレで聞こえてくるいじめっ子たちの悪口が怖くてたまりませんでした。
そして中学2年の5月、私はまた、教室に通えなくなりました。
「学習室」という名のオアシス
再び保健室登校になったある日。
保健室の先生に、「『学習室』に行ってみない?」と声をかけられました。
「学習室」と呼んでいたのは、使われていない空き教室で、
私と同じように自分のクラスに通えなくなった子が何人か、身を隠すように過ごしている教室だと。
この「学習室」専任の先生もいて、勉強はあまり教えてもらえないけれど、心のケアをしながら過ごせる場所だということでした。
私はその日から「学習室」に通うことにしました。
学べる場所がないのなら、作ろう
学習室には私のような子が3、4人いて、みんな何かしらの事情を抱えていたので、
自分だけじゃない安心感があって、居心地はよかったです。
ただ、みんな自分の心や周囲の人の視線と戦っていて、勉強どころではありませんでした。
私は危機を感じました。一応テストは受けていましたが、授業を受けていないので点数は下がる一方。
このままじゃ行きたい高校にも行けない。
いじめなんかで自分の夢をあきらめたくない。
私は「勉強したい!」と声を上げました。親と先生の協力もあり、学習室で授業をする環境を作ってもらいました。
先生の空き時間を使って授業をしてもらっていたので、教科には偏りがありました。
個人的に進○ゼミも始めて、朝起きられなくても学校に行けなくても、
普通に授業を受けている子たちに引けをとらないよう努力しました。
中3になると休み時間も勉強していました。
そうしてそのまま「学習室」で卒業を迎えました。
行きたかった高校への合格切符を無事手に入れて。
いじめは私の人生にどう影響したか
・・・とまぁ、こういうふうに書くと、なんだか「いじめに負けずに努力し抜いた美談」のように聞こえるかもしれません。
確かに行きたい高校には行けたし、その後行きたい大学にも行って、なりたい職業になれました。
ただ私は、この二度のいじめでいろいろなものを失いました。
すれ違う人と目を合わせられなくなりました。
遠くで話す人がみんな私の悪口を言っているように感じるようになりました。
知らない人が私のことを見る視線が怖くなりました。
集団の女性が怖くなりました。
人にどう思われているかが気になって、小さなことで落ち込むようになりました。
「今仲良くしてくれていてもどうせそのうち嫌われるんだ」と思うようになりました。
10年経ってもこの「不安」「恐怖」「思い込み」から解放されていないんです。
社会人になった今、適応障害になってしまったのも、この不安や思い込みのせいだと思っています。
あるいは、嫌われないように過剰適応しようとしてしまって、疲れてしまうのだと思います。
これからどうする?
私はこれから少しずつ、この10年かけて形成された「認知のずれ」に適応する努力をしていこうと思います。
急には変われないけれど、少しずつ。かつて学習室で勉強していたときのように。
まずはこの休職期間を利用して、認知行動療法を勉強するところからやりたいと思います。
形から入ります(笑)
ここまで読んでくださりありがとうございました。