がんばりたいけどがんばらない

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適応障害と診断された24歳エンジニア女子のつぶやき

がんばりたいけどがんばらない

いじめられていた中学時代の話をしよう【中編】

前回の続きです。

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前回は最初のいじめについて書きました。

一度は解決したように思えたいじめでしたが、この話には続きがあります。

今回はその後の話。

 

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悪夢ふたたび

味方になってくれた友達たちとは、学校ではいつも一緒にいて、

部活も一緒に参加したり、休みの日も遊んだり、仲良く過ごしていました。

私をいじめていた運動部の子たちは、彼女たちの働きかけによって

少しクラスでいづらそうにしていました。

私はまた安心して学校に通うことができるようになりました。

 

そんな日々がしばらく続いたある日、

彼女たちのうちの一人と、些細なことで少し言い合いをしてしまいました。

内容は部活に関することだったかな。あまり記憶がありません。

そのときはメールで謝罪し、次に会ったときにも謝って、解決したように思っていました。

 

このころから、彼女たちの私に対する態度が変わっていきました。

 

遊びに誘ってもらえなくなり、私以外のみんなで遊んだ日のことを楽しそうに話している。

私が映っていないプリクラを見て笑っている。落書きには「あいつうざい」。

最初のいじめと同じように、遠くから悪口が聞こえる。

すれ違いざまに舌打ちをされる。

当時流行った「ホムペ」には、私のことらしき悪口が書かれている。

部活で一人で練習していたら、「ひとりぼっちで練習とかキモ!」と笑い声が聞こえる。

帰ろうとしたら自転車や靴にいたずらされている。

別のクラスの前を通るとまた悪口が聞こえる。

 

正直、最初のいじめよりきつかったです。

しかも今回の相手はクラスの中心にいるような子たち。

この子たちに嫌われてしまうと、もう味方になってくれる人はいません。

誰にも相談できずひとりで耐えていました。

 

教室に入れなくなった日

そんな日々が続いた中学1年の冬のある日、遅刻ギリギリで学校に着いて、急いで階段を駆け上っていました。

けれど間に合わず、始業のチャイムが鳴ってしまいました。

ぽきっ、と心が折れました。

 

廊下で立ち止まって泣いていました。

通りかかった別のクラスの先生が、どうした!?と声をかけてくれました。

そのまま職員室に連れて行かれ、号泣しながら先生に話をしました。

このあたりからあまり記憶がありません。

この次の日に、初めて親に「学校に行きたくない」と言って泣いた気がします。

 

両親とのバトル

学校に行きたくない、と言った日は、両親は心配して学校を休ませてくれました。

何があったか、どういうことをされたのか、という私の話も聞いてくれました。

あぁ、やっとつらい日々から解放される。そう思っていた私はまだまだ甘ちゃんでした。。

今度は両親(特に母)との毎朝のバトルが待っていました。

 

学校に行きたくない!!と泣いて布団にこもる私。

学校に行きなさい!!と怒って布団を引きはがす母。

そんな私たちを悲しそうになだめる父。

それが毎朝。

 

もう正直、学校よりこっちのほうが地獄でした(きっと両親の心の中も地獄だっただろうなぁ)

家にいても怒られるし、学校に行っても無視されるし、居場所がないなぁと内心ぼろぼろになっていました。

 

ただ、昼ごろになってのそのそと起きて台所に行くと、いつも母が作ってくれたお弁当が置いてありました。

母は私が学校に行かなくても毎朝お弁当を作ってくれていたんです。

私が食べようが食べまいが、毎朝作ってくれていました。

 

父は父で、教室に行けなくなった私をせめて保健室に登校させるために、

人の視線が怖くて外に出られなくなった私を、毎朝のように車で学校まで送ってくれました。

 

きょうだいがこういう状況になったことは今までなかったので、

両親もどうしたらいいかわからなかったんだと思います。

私があまり話したがらないので、特別相談に乗ったりということはありませんでしたが、きっと両親なりの支え方だったんだと思います。

今でも思い出すと泣けてきます。

 

長くなったのでつづきは後編に。

 

 後編はこち

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